韓国にチップ文化はない。それでも「팁」という文字を何度も見る理由
日本から来た人が韓国で迷うのは、チップを渡すべきかどうかではない。日本と同じく渡す習慣がないので、その点で悩む余地はほとんどない。厄介なのは、配達アプリの注文画面にも、ホテルの請求書にも、ゴルフ場の料金表にも「팁」「봉사료」という文字が当たり前に並んでいることだ。日本語の「心づけ」を思い浮かべて読むと、金額の見積もりが狂う。
メニューに書いてある数字が、そのまま払う額
韓国の飲食店は、メニューに最終支払価格を表示する義務を負っている。2012年に食品衛生法の施行令・施行規則が改正され、2013年1月1日から施行された制度で、付加価値税もサービス料も込みにした「客が実際に払う金額」を書かなければならない。税やサービス料を別建てにすることは認められておらず、違反すると是正命令、営業停止7日、営業停止15日と段階的に処分が重くなる。
9,000ウォンと書いてあるキムチチゲは、9,000ウォンで食べ終わる。会計のたびに上乗せを暗算する習慣が育たなかったので、チップという発想が入り込む隙もない。ホールの人件費は店が持っていて、客の善意で埋める設計になっていない。
ソウル市の公式観光サイトは、チップを「韓国の習慣ではない」と書いたうえで、受け取る人もいれば断る人もいる、と付け加えている。公的な案内がここまで含みを持たせるのは、そもそも決まった作法が存在しないからだ。
「팁」と書いてあっても、チップではない
배달팁 — 配達アプリで注文するときに出てくる項目で、中身は配達料だ。配達距離に応じて加算され、注文を確定した時点で金額が決まる。客が額を上乗せする余地はない。アプリによっては「배달요금」「배달비」と書かれるが、指しているものは同じだ。배민클럽のような月額サービスに加入していれば、この欄が0ウォンになる注文もある。
봉사료 — 日本語のサービス料にあたる。5つ星ホテルの一部が、客室料金や館内の飲食代に10%を別途上乗せしている。始まりは1979年、当時の観光行政を担っていた交通部が「サービス従事者の過度なチップ要求をなくす」ために一律10%と定めたことにある。チップを封じるために作られた仕組みが、いま予約サイトの表示額と決済額のずれを生んでいる。政府は2006年に自主的な廃止を勧告したが、文化体育観光部が2023年に調べた時点で、全国の5つ星ホテル72軒のうち24軒がまだ徴収していた。10%のサービス料に10%の付加価値税が重なると、最終的な差は2割を超える。
캐디피(キャディフィー) — ゴルフ場でキャディに払う、あらかじめ決まった料金。2026年2月の時点で18ホール以上の406コースのうち306コース(75.4%)が1チーム15万ウォン、平均は14万6,300ウォンだった。4人で回れば1人あたり37,500ウォンになる。支払いは長く現金が慣行で、カード決済を導入したコースでも実際に使われる割合は1%に届かない。
渡そうとしても、その場面が来ない
韓国の食堂は席で会計をしない。食べ終わったらレシートを持ってレジへ行き、そこで払って出る。テーブルに伝票フォルダが置かれることはなく、釣り銭を残して席を立つ動作そのものが成立しない。
タクシーはカードとアプリでの決済が主流になり、現金を出す機会自体が減った。現金で払って釣り銭を辞退したときの反応は人によって割れる。ソウル市の案内が「受け取る人もいれば断る人もいる」と書いているのは、まさにこういう場面を想定してのことだ。押し問答になりそうなら、素直に受け取ったほうが話が早い。
感謝を伝えたいなら言葉のほうが届く。店を出るときの「잘 먹었습니다(チャル モゴッスムニダ)」は大人が日常的に使う挨拶で、日本語の「ごちそうさまでした」とほぼ同じ位置にある。個人経営の店なら、ネイバーの地図に短いレビューを一つ残すほうが、千ウォン札より実利がある。
入ってこようとしては、はじかれている
2023年7月19日、カカオモビリティが配車アプリのプレミアムタクシー(ブラック、模範、ベンティなど)で「감사팁(感謝チップ)」の試験運用を始めた。評価で星5をつけると1,000・1,500・2,000ウォンの選択画面が出る仕組みで、「支払わない」も選べた。反発は大きく、2万2,000人余りが回答したオンライン調査では、否定的な意見が6割を超えた。導入から2か月足らずで利用者が4分の1に減ったとも報じられた。
2025年7月には、ソウル・汝矣島(ヨイド)の飲食店がレジの横に「TIP BOX」を置いていたことがSNSで広まり、2日間で350件を超えるコメントがついた。大半が批判で、「ここは韓国だ」という言い回しが何度も繰り返された。その数日前には、冷麺店の無人注文機が「従業員の慰労費」として300ウォンを上乗せしようとして、同じ扱いを受けている。
制度の面でも、飲食店が表示価格とは別にサービス料を客へ請求することはできない。すべて込みで表示するのが義務だからだ。店がレジ横に箱を置き、客が自分の判断で入れるところまでは問題にならないが、店の側が支払いを求める形になると表示義務に反する。
用意しておくべきなのは小銭ではない
観光客として身構える必要はほとんどない。財布に千ウォン札を仕込んでおく手間も、食事のたびに一割を暗算する手間も要らない。気をつけるのはチップの有無ではなく、請求書の読み方のほうだ。ホテルを予約するときは「봉사료 별도」「VAT 별도」の表記を探す。配達アプリの「배달팁」は、はじめから代金の一部として計算に入れる。この二か所さえ押さえておけば、想定より高い数字が出てきて驚く場面はまず起きない。